Tubuyaki

ネガティブな感じではないんだけど、自分の人生で最高なときないなと考えたきっかけがあり。

社長は「私は基本的に最新の私が最高ですけどね」剣持さんは「僕は僕ですよ。なぜならば僕以上に人生を謳歌している人間などいないからです!」
って言ってて、その考え方好きだなあと思ってて。なぜその言葉が響くのか?って考えたときに、私にはない考え方だったからというのが近いのかなあ。
2人の言葉にはある種の自分の人生に対しての誇りを感じるんですよ。でも自分は自分の人生に対して誇りを持ったことがなかった。

そこで、「ああ、自分って人生の最高のハードルがかなり高いんだ」と思った。
推し活とか、友達と遊んだとか、美味しいもの食べたとか、常連になってサービスしてもらったとか、漫画とかゲームとか映画に深く感動したとか、そういう小さな幸せみたいなものはある。
最近語ったろふまおセカンドライブのDiVE !Nの体験も幸せな体験だったと思う。
しかしそれを人生の最高地点かと言われると違う気がしてしまって。
なんか、「最高」ってとてつもなくすごい目標を達成したときのことなんじゃないか?と無意識に思っていた気がする。日々をなんとなく生きている私は「最高」ではないんじゃないか?と思った。だから、ずっと足りない気がしていたんだ。
私の感じる幸せって一瞬すぎて、トータルで考えると最高な人生ではないと思ってしまう。
「大きな目標をやり遂げて自分が変わる瞬間」「人生の意味が変わるほどの体験」その位の重さを「最高」って言葉に求めている気がする。
でも、もう少し「最高」とか、「幸せ」の意味を軽く考えてもいいんじゃないかと思い直した。

日々の小さな喜びだって、積み重ねれば人生を形づくる光なんだと思う。
私も自分の人生に誇りを持てる生き方をしたいなと思った。

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